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個人ゲーム制作の歴史:同人からインディーへ

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執筆にClaudeを使用しています。

しおり・ハート・時計の目印が付いた棚から、小さなゲーム世界の本を取り出すイラスト
記事のテーマをもとに制作したAI生成イラスト。

「インディーゲーム」という言葉は今や広く使われていますが、その手前には「同人ゲーム」と呼ばれた時代があり、さらにその前には個人がプログラムをカセットテープや雑誌の誌面で配り合っていた時代がありました。個人がゲームをつくって世に出す行為は、突然生まれたわけではなく、数十年かけて少しずつ形を変えながら続いてきたものです。 この記事では「同人ゲームとインディーゲームは何が違うのか」「いつ、何をきっかけに変わったのか」という問いに沿って、日本における個人ゲーム制作の流れを整理します。歴史を知ることで、今の制作環境がいかに恵まれているかも見えてきます。

この記事の目次
  1. 始まりはコードを載せた雑誌だった
  2. フロッピー配布と同人ショップの時代
  3. Windowsへの移行と「フリーゲーム」の爆発
  4. Steamと「インディー」という概念の輸入
  5. 制作ツールの民主化と現在地
  6. 「作る人」を継続させる仕組みの変化
  7. 次の行動
  8. 参考資料

始まりはコードを載せた雑誌だった

1970年代末から1980年代にかけて、パソコンが家庭に普及し始めた時期、個人がゲームを作って公開する手段は限られていました。主な方法は、プログラムのソースコードをそのまま雑誌に掲載し、読者が手入力して動かす「プログラムリスト掲載」でした。『マイコンBASICマガジン』(電波新聞社)などがその代表で、読者は誌面を見ながら何百行ものコードをキーボードで打ち込みました。

この時代の「個人制作」は、プログラムを書ける人とそれを打ち込んで遊ぶ人が読者層として重なっており、制作と受容の距離が極めて近いものでした。誤植一つでゲームが動かなくなるため、読者投稿コーナーで修正情報が飛び交うという、今では想像しにくいやりとりが普通に起きていました。市販のゲームとは別の、「作れる人が作って配る」という文化の原型がここにあります。

フロッピー配布と同人ショップの時代

1980年代後半から1990年代にかけて、記録メディアとしてフロッピーディスクが普及すると、個人がゲームをコピーして手渡したり、即売会で販売したりする形が生まれました。コミックマーケット(コミケ)に代表される同人誌即売会は、もともとは漫画・小説の頒布の場でしたが、1980年代後半にはゲームソフトのサークルも参加し始めます。

この頃の同人ゲームは「頒布物」として位置づけられ、販売というよりは制作コストの回収が名目でした。価格も数百円程度のものが多く、商業ゲームと明確に区別されていました。流通の中心はコミケや地方即売会、そして同人ショップ(とらのあなや虎の穴など)です。ジャンルは既存の商業作品の二次創作が多かったものの、完全オリジナルのゲームを出すサークルも存在しました。

この時代の個人制作を支えたのは、PC-88・PC-98・X68000といった日本独自のホームコンピューター文化です。海外とは異なる独自の生態系の中で、日本語テキストを扱いやすい環境が整っており、ビジュアルノベルやRPGの原型が数多く生まれました。

Windowsへの移行と「フリーゲーム」の爆発

1990年代後半から2000年代にかけて、PCがWindowsに統一されると、個人制作ゲームの状況が大きく変わります。決定的だったのは、ゲーム制作ツールの登場です。「RPGツクール」シリーズや「吉里吉里」「NScripter」といったスクリプトエンジンの普及により、プログラミング知識がなくてもゲームが作れるようになりました。

同時に、インターネットの普及によって「無料配布(フリーゲーム)」という選択肢が現実的になりました。自分のサイトやVector、窓の杜といった配布サイトでゲームを公開すれば、お金のやりとりなしに世界中のプレイヤーに届けられます。この時期に生まれた作品の中には、後に商業作品として再リリースされたり、続編が作られたりするものも出てきました。代表的な例として、フリーゲームとして公開されたホラーゲームが国際的に注目を集め、翻訳・移植されたケースは複数あります。

同人ゲームとフリーゲームがほぼ同時期に量的な最盛期を迎えたのがこの時代で、コミケの同人ゲームサークル数も最も多かったとされています。

Steamと「インディー」という概念の輸入

2010年代に入ると、「インディーゲーム(indie game)」という言葉が海外から持ち込まれます。もともと英語圏で使われていたこの言葉は、大手パブリッシャーに依存しない独立した(independent)開発者・スタジオが作るゲームを指します。日本の同人・フリーゲーム文化とは出自が異なりますが、「個人または小規模チームが作るゲーム」という実態は重なります。

決定的な転換点のひとつは、SteamのPC向け個人販売が現実的な収益源として機能し始めたことです。それまでは「同人ゲームは趣味、商業ゲームはプロ」という分け方がある程度通用していましたが、Steamで個人が数百円から数千円で販売できるようになると、同人と商業の中間地帯が生まれました。スマートフォンのアプリストアも同様の役割を果たしました。

同人ゲームとインディーゲームは今も明確に定義が分かれているわけではありませんが、流通の経路と収益の設計が異なります。同人は即売会・同人ショップを主な流通とし、コミュニティの中での頒布という側面が強い。インディーはデジタルプラットフォームで世界市場に向けて販売することを前提としていることが多い、という違いが実態に近いでしょう。

制作ツールの民主化と現在地

2020年代に入り、UnityやUnreal Engineの無料枠、Godotのオープンソースエンジンとしてのメジャーアップデートなどにより、3D・2D問わず本格的なゲームエンジンが個人に開放されています。さらに生成AIツールの普及により、プログラミングや画像生成のハードルがさらに下がりました。

一方で、配布・公開の手段も多様化しています。itch.io、Steam、App Store、Google Play、そしてHTMLファイルやZIPファイルをそのまま投稿してブラウザで遊べる形式を受け付けるプラットフォームも登場しています。制作から公開までを一人でこなせる環境は、雑誌にコードを投稿していた1980年代と比べると隔世の感があります。

ただし、公開手段が増えることはそのまま「届く」ことを意味しません。配布の技術的障壁が下がった分、どう見つけてもらうか、どうコミュニティに届けるかという課題が相対的に大きくなっています。この点は、即売会という物理的な場所で作者と受け手が直接出会えた同人時代とは異なる難しさです。

「作る人」を継続させる仕組みの変化

歴史を振り返ると、個人ゲーム制作が続いてきた背景には常に「届ける仕組み」がありました。プログラムリストを載せる雑誌、コピーを頒布できる即売会、無料配布を可能にしたネット、そして収益化できるデジタルストア——それぞれの時代に、作る人が「出せる場所」があったことが制作のモチベーションを支えていました。

制作ツールの高性能化や生成AIの導入は「作れる人を増やす」方向に働きますが、「出した作品が誰かに届く」体験がなければ、多くの人は作り続けません。個人制作の歴史は、制作技術の歴史であると同時に、届ける場所の歴史でもあります。

次の行動

個人でゲームを作ってみたい場合は、RPGツクールやGodot、あるいはHTMLベースのゲームエンジンから始めると、今日の制作環境のハードルの低さを実感できます。作ったゲームの公開先としてアソバース(https://aso-verse.com)ではHTMLファイルやZIPファイルの直接投稿が可能なので、まず一作を外に出す経験として使ってみてください。公開の手応えを得ることが、次の制作につながります。

参考資料

  • 電波新聞社『マイコンBASICマガジン』バックナンバー(国立国会図書館デジタルコレクション)
  • コミックマーケット準備会 公式サイト(コミケ参加サークル統計)
  • Valve Corporation「Steam」開発者向けドキュメント
  • RPGツクール公式サイト(シリーズ沿革)
  • Godot Engine 公式ドキュメント